菅原文太からの“遺言”

▼平和活動に情熱注ぐ
 高倉健の後を追うかのように先月28日、菅原文太が亡くなった。享年81。菅原と言えば、東映のドル箱映画「仁義なき戦い」を思い出す。彼はこれでスターにのし上がった。だが、宮城出身の菅原は3・11にショックを受け、俳優を引退。最近は平和活動に情熱を注いでいた。いい役者が次々、昇天していく。寂しい限りである。

 高倉健の任侠映画は「昭和残侠伝」のように、ひとり悪に立ち向かう悲劇のヒーローの役が多かった。これに対し、菅原文太の実録路線は実話を基にした筋書きだ。

 手持ちカメラを多用したスクリーンは、まるでニュース映画を見ているような迫力があった。名監督、深作欣二の「仁義なき戦い」シリーズで、菅原は東映の看板スターになった。

▼安倍政権に強い警戒心
 菅原文太が生まれた1933年〈昭和8年〉は、日本が国際連盟から脱退した年だ。当時の日本は、中国東北部に傀儡の満州国を建設するなど、軍事力を背景に着々と大陸進行を進めていた。

 軍国教育で育ち、その後の悲惨な戦争を経験したせいもあって菅原は、平和の尊さを痛感した。戦中戦後を知る菅原は、戦前回帰を色濃くする安倍政権に強い警戒心を抱いていた。

▼右傾化社会に危機感
 憲法をないがしろにし、右傾化を強める社会への危機感は人一倍強かった。日刊ゲンダイが昨年8月に行ったインタビューで、菅原は次のように心情を語っている。

 「いま大切なのは、われわれ国民が政府のデマゴギーにそそのかされず、自分で考えることだ。書物や新聞を読み、多くの人の話を聞いて、平和を維持するために“自分は何をするべきか”を模索する。真実を知れば戦後、ひとりの戦死者も出していない憲法9条が、いかに素晴らしいものであるかが分かるはず。戦前のように、タカ派政治家たちの言葉に踊らされてはいけない」。

▼机上の空論に溺れる
 先の戦争を体験した人は、イデオロギーの違いを超えて、誰もが「ニッポンは、戦争だけは絶対にやってはならない」と口をそろえる。安倍晋三をはじめ、石破茂たち戦争を知らない連中は観念的に、机上の空論に溺れる。恐ろしいことである。

 「戦争だけは絶対にするな。平和憲法を守れ」との声は、菅原文太から私たちへの“遺言”だ。

この記事へのコメント

お役者小僧一
2014年12月04日 10:02
戦後、GHQに禁止されていた時代劇は独立後、清水の次郎長や沓掛の時次郎などの任侠映画として花開いた。その延長上に東映の任侠路線が始まり、鶴田浩二に続いて高倉健が昭和残侠伝で人気を博した。内容は力道山のプロレスをまね、やられてやられて最後に堪忍袋の緒が切れて殴り込みという単純なものであった。実録路線は高倉健主演の「三代目襲名」であった。これは暴力団史上最強の山口組最大目組長田岡一夫の自伝映画で大ヒットした。任侠映画を制作するのに襲名披露や手本引きなどその世界の方々の指導を受けたので交際は当たり前であった。そしてついに読売新聞大坂社会部記者だった飯星晃一が書いたドキュメント「仁義なき戦いー美能幸三の日記ー」が菅原文太を主演に映画化され、いままでの絵空事のやくざ映画ではなく現実のやくざ映画の登場とあって大ヒットしたのであった。山口組三代目は戦国大名の織田信長のごとく全国制覇の方針を打ち出し、各地に軍団を送り込んだ。その広島戦争を取り上げたのが「仁義・・・」であった。いあっも日本映画史上「仁義・・・」を超える映画はない、と言われている名作である。戦後日本社会の縮図デアルこの映画、貸ビデオ屋にあるので是非見てほしい。

この記事へのトラックバック